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日本では「歌劇」と訳されているので想像がつくかもしれませんが、「オペラ」とは「歌で進められる劇」のことです。芝居は普通の会話のようにお話しするせりふで物語が進みますが、オペラではせりふにメロディーがついているのです。場合によっては日常会話まで伴奏を伴う歌で表され、それが不自然で耳慣れない感覚におちいるかも知れませんね。 この日常会話の部分が歌ではなく会話で進められるオペラもあります。モーツァルトのオペラとして有名な「魔笛(まてき)」がそのひとつで、ドイツ語でジングシュピール(歌芝居)と呼ばれます。 なぜせりふを歌うのか? 同じことを伝えるのに音楽が付いているほうが表情豊かになったり、印象が強くなったりしますね。しかもその歌声がとても訓練(くんれん)されたものだけに、声そのものが魅力(みりょく)にもなります。また歌の部分だけでなく、オーケストラの奏(かな)でるしらべなどが、登場人物の心の内を聞く人に伝える効果などもあるのでお芝居とはまた違った魅力あるものとなっているのです。 よくオペラは総合舞台(ぶたい)芸術だと言われますが、それは演劇的(演出や演技)、文学的(歌詞)、美術的(舞台装置や照明、衣装(いしょう))といったさまざまな要素が上手に合わさって作られているからなのです。ですから私たちは音楽を耳で楽しむだけでなく、歌手の衣裳、演技、そして舞台装置までもいっしょに楽しむことができるのです。なれればなれるほど、知れば知るほど楽しいものとなるでしょう。 それではオペラを上演するホールのとくちょうにふれたいと思います。 日本にも国立のオペラ専用の劇場ができましたが、コンサートに使うホールでオペラを上演することも多いのです。それではオペラを上演するために必要な劇場のとくちょうを説明してみます。
約400年前の16世紀末、ルネサンス期イタリアで生まれました。フィレンツェの貴族や芸術家が古代ギリシァで演じられたギリシャ悲劇を復活させようとして始めたのがオペラのはじまりです。当時のイタリアは都市を中心にした国の集まりになっており、フィレンツェの動きは他の都市の貴族を刺激し、オペラが広まりはじめました。こうして最初は貴族階級だけのものでしたが、地中海貿易などで市民文化の進んだヴェネツィアで、モンティヴェルディの市民向けのオペラ劇場がオープンすると、一挙に人気が高まり、映画などのない昔、オペラはイタリア国内では大きな楽しみとなって行きました。このオペラを武器にイタリアの音楽家たちは、ヨーロッパ諸国にかつやくの場を広げて行きました。各地にできたオペラ劇場は観客を多く呼ぶために舞台に工夫を凝らしたり、スターのオペラ歌手が人気を競い合うこともありました。現在の野球のスタジアムのように、当時は劇場の良い席を貴族が専用に買い占めるところとなり、良い席を持っていることが彼らの自慢だったようです。 当初イタリアでは悲劇的なあるいは宗教的なオペラが作られていましたが、市民のごらく性が高まるにつれ、18世紀頃からは喜劇仕立てで市民生活を描くオペラが作られるようになりました。 また、ベルカントという声の美しさに重きを置く歌唱法も成立してイタリアオペラの伝統となりました。イタリアオペラは19世紀に全盛期を迎えヴェルディ(1813-1901)やプッチーニ(1858-1924)によって頂点を極めました。 一方その他のヨーロッパ諸国もいつまでもイタリアからの音楽だけではなく、自国の作曲家のオペラを上演する動きがでてきました。オーストリアではモーツァルト(1756-1791)が登場し、流行しているイタリアの伝統を踏まえながらもドイツ語のオペラも作り、イタリアものとは一味違うドイツオペラへの道を開きました。ドイツオペラらしい曲目と言えばウエーバー(1786-1826)の「魔弾の射手」などがあります。19世紀後半にはワーグナー(1813-1883)がより劇的な要素を強め、「楽劇」と呼ばせる多くの作品を残していますし、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)といった現代最も良く演奏されるオペラ作曲家の一人を産みました。 またフランスでは18世紀に入るとすぐオペラが伝播してきましたが、フランス革命以降、力を得た市民階級の勢いや、世界の中心パリの気質を反映してか、グランドオペラと言われる一層華やかなオペラが誕生しました。当時のお金持ちの満足を得る工夫もあり、バレエシーンも持ち込まれました。 ビゼー(1838-1875)の作曲した「カルメン」もパリで初演されました。 当時帝政のロシアは、王家の権勢によりイタリアからの演奏家や作曲家を招き、ここでも芸術の国と言わせる独特の味わいのあるオペラが育っておりました。時代は19世紀後半になって、バレエ音楽で有名なチャイコフスキー(1840-1893)もオペラを作曲しております。 20世紀に入り、新大陸アメリカでも「ポーギーとベス」という、アメリカで発達したジャズ音楽を使ったオペラが初演され、画期的な音楽ができあがりました。この頃日本でもはじめてオペラが作曲され、近年では日本の文化として海外で上演される作品もたくさんあります。 このように世界中に広がってきたオペラを分類するのは難しいことですが、これからオペラに親しむ人のために、良くオペラファンの間で語られる種類の特徴を示します。
前に述べたとおりオペラはイタリアで生まれ、ヨーロッパ各地に広がったものです。同じ頃日本では歌舞伎(かぶき)が生まれています。歌舞伎が庶民文化のひとつとして育ったのに対し、オペラはときの権力者が自分の威光(いこう)を見せつけたり、儀式(ぎしき)に利用するなどの目的もありました。まただんだんはなやかさを増し、人が集まる場になったとき、そこは社交の場ともなりました。貴族文化の全盛期には劇場を持つ王族が、全てのバルコニー席が見渡せる場に座り、お客様をもてなしたり、だれがだれと来ているかなどに関心を示すこともあったようで、一階席はご主人さまを待つ馬丁さんなどがたむろしている広場だったそうです。今でも平土間席という名前が残ります。 電気がなく照明装置も未発達ではあきてしまう人も多かったでしょう。それに冷暖房もありませんでしたから、当時オペラを聴いてもらうのは大変だったと言い伝えられております。古い劇場では舞台のよく見えない席もあるのですから。来場者の楽しみもそれぞれだったのでしょう。休憩(きゅうけい)が長いのはトイレに並ぶとか舞台装置の入替えが電動ではなかっただけはでなく、グラスをあげて食事を楽しむためでもあったようです。 フランスに起った市民革命はそんな特権階級の社交の場を総合芸術の世界へと変える原動力となったと同時に、オペラを維持する膨大(ぼうだい)な費用を負担できる新しい市民勢力のものとなりました。平土間はダンスもできる会場となり、バルコニー席のお客様の目を楽しませる高価な衣装を身に着けた紳士淑女の席に変ぼうしました。 このようにその時代の大きな力に寄りそいながら生きて来たのがオペラですが、今ヨーロッパでは国立劇場として、その国の文化の威信(いしん)を誇る形で運営されている訳です。オペラ劇場を持っているかどうか?それはその国や地域の人々の芸術文化を大切にする気持ちの表れとされます。 その一方で市民オペラという世界があります。身近なところで芸術家やオペラを演じたい人の思いを自由に表現する自己責任型のオペラで、地域の支援者がそれを支える時代に入って参りました。現代のオペラを守る主権者は、市民の一人ひとりということになるのでしょうか。 このようにだれが主催者か?それに左右され勝ちなオペラ作品ですが、今に残っているものは、例えば出資者である貴族をからかう台本でありながら、それを上回る芸術の力を持って時代を乗り越えた、モーツァルトの「フィガロの結婚」に代表されるような曲だと思われます。オペラそしてクラシックの魅力の一つは、そうした大きく変わる時流に屈しない魅力を味わえることにあろうかと思われます。
みなさんが客席から見ているのは舞台のほんの一部です。ステージの裏へ回ってみましょう。 客席から見て舞台の右側を「上手(かみて)」左側を「下手(しもて)」と言います。客席から見えない上手、下手の舞台を舞台袖と呼んでいます。それから、ステージの下には奈落(ならく)と呼ばれる部屋があり、ステージとはセリと呼ばれる壁のないエレベーターで繋がっています。これは舞台装置を運んだり、歌手が突然現れる演出などに使われます。 上を見上げると、背景幕や照明との組合せで不思議な効果を出す紗幕、雪を降らせる籠などの吊り物も見えます。また前方から目を射る強いスポットライトが点滅されます。真上から照らされる照明の梁(はり)には、何と黒い服を身にまとった人が上がっているではありませんか。 幕の上がる直前まで、照明チームは演出家の意欲を実現し、演奏しやすいように調整します。 大劇場では、舞台の奥に第二幕で使用するお城などが既にセットされ、電動で入れ替わるようになっています。これを回り舞台と呼びます。 ここでオペラのできた頃を思い浮かべてみてください。 電気はなく、蝋燭(ろうそく)の灯りを工夫して照明効果を出し、空調もなく、ヨーロッパでのオペラシーズンは夏場を避けました。嫌煙権(けんえんけん)などもなく、劇場内はよほどの事がないと長時間滞在するのは大変な環境だったと思われます。現代は、照明は自動制御され、舞台の入れ替えが電動化されて、観る者をいらいらさせないなどの他、空気も快適な空間でオペラを鑑賞することができるので、一層作品の素晴らしさに集中できる訳です。良い時代に産まれましたね。 さて下手の袖では小道具係が台車に乗せた椅子やテーブルを運んでいます。その周りでは大道具係が柱を組み上げたり、次の場面のセットを運んだりしています。衣裳係は舞台化粧を終えた歌手に上着を着せ、舞台監督はタイムテーブルを片手に歌手の持ち物を点検させています。またもうすぐ出番の歌手を袖に呼んでいます。 上手の袖では背景幕などの「吊り物」を上下する準備をしています。大道具係が本物そっくりの邸宅を舞台に押し出しています。上の方にはライトをあてている照明係が最後の確認をとっています。 オーケストラ・ピットには既に奏者が入り、楽器のチューニングをめいめいにしています。 主催者から舞台監督に電話が入ります。「定刻開演してください」の合図です。 指揮者が控えの豪華な個室から招かれ、ステージ下のオーケストラ・ピットで入り口に進みます。 照明係が指揮者の入場を追うスポットライトに手を掛けます。客席の照明が完全に降り、全てのドアが閉まると、いよいよ開演です。 このように舞台裏では多くのスタッフが働いています。多くの人々の努力によってオペラが創り上げられます。ミラノ市にあるオペラの殿堂と呼ばれるスカラ座では、小道具のひとつずつがその当時の素材でできているなど、こだわりもすばらしく、オペラが総合舞台芸術だと言われているわけが、これでわかってきたのですが、皆様はいかがでしたか?
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