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回顧と前進

第8話 戦時色強まる業界

『松本望著「回顧と前進」』

(有)福音電機製作所を設立 ~ 戦雲濃い昭和16年8月に発足 ~

昭和16年(1941)8月、いよいよ会社組織を有限会社として“福音電機製作所”を設立しました。

資本金は72,500円です。

400円で始めた元手が、東京へ来てから僅か3年半で180倍になった計算です。

この間、戦時色を一段と強めつつあった経済統制の波は、各種産業の統合、これにともなう中小企業や零細企業の合併および転業を強いるなど、急速に大きな波紋となって広がっていったのです。

しかし、幸いにもラジオ業界は国策上の情報伝達産業として、ラジオ受信機がなかば必需品化していましたので、まがりなりにも引き続き盛況をきわめていました。

その当時、私の企業の経理関係業務は、60年配の中村さんと田利君という計理士志望の二人でやっていました。

仕事量が増えるにしたがって、社員の数も24、5名ほどにふくらみ、当然経理面もそれに見合う体制にしなければなりません。


福音商会電機製作所(大阪)の設立に関わった社外の支援者と思われる(詳細不明)

そこで、経理体制の充実と税務対策面から、会社組織にする必要に迫られたわけです。

このころは、有限会社組織にするのが一つの流行になっていました。

ミタカ電機の山口さんも、日東蓄電器の三浦さんも、そして関根さんも株主になってくれました。

もちろん、代表取締役は私ですが、妻・千代も取締役にしました。

その年の7月には、すでに陸軍は関東軍特別演習と称して、いまの中国東北地区に70万の大兵力を結集、同時に南仏印にも進駐を開始しました。

国際情勢は、まさに一触即発の危機にあったのです。

そして、ついにやってきたのが太平洋戦争開戦のニュースだったのです。

忘れもしません。昭和16年(1941)12月8日。その朝、私は早くから日本精機へダイナミックスピーカーの納品に出かけることになっていました。

ちょうど、7時ごろだったと思います。

軍艦マーチにのって、臨時ニュースが私の耳に飛び込んできたのです。
ー大本営陸海軍部発表。12月8日午前6時。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋において米英軍と戦争状態に入れりー

その瞬間、日本人はみんな来るべきものがきた、という感に打たれたに違いありません。

臨時ニュースによれば、南雲機動部隊の航空母艦を飛び立った第一次攻撃隊183機の若鷲はハワイの各飛行場と真珠湾の艦列を爆撃。

さらに、第二次攻撃隊の戦爆連合171機によって米太平洋艦隊の戦艦5隻を撃沈し、3隻を撃破し、ほかに多くの艦艇を撃沈、または撃破したのです。

また、航空機188機を撃墜および地上撃破、291機を使用不能に至らせるという、初戦での大戦果が国民を狂気させていました。

このころ、すでにダイナミックスピーカーを組み込んだラジオは、贅沢品とみなされ、あまり多くはつくられていませんでした、なにしろ良い音がでるものですから、つくればつくるだけ売れる、というのが実情でした。

私は、それまで問屋さんに卸すほか、メーカー向けの規格化されたダイナミックスピーカーを専門につくっておりましたが、太平洋戦争への突入とともに、政府は、いわゆる普及型ともいうべきマグネチックスピーカーを組み込んだラジオの生産を積極的に奨励するようになりました。

これより先、NHK指定の局型ラジオ、認定品ラジオなども、政府の指導でつくられるようになったことは前にも述べたとおりです。

そんなわけで、私もダイナミックスピーカーだけをつくっているわけにはいかなくなり、マグネチックスピーカーの製造に拍車をかけざるを得ないようになったのです。

しかし、マグネチックスピーカーは部品も材料も、そして作り方もダイナミックスピーカーとは違います。

そこで、当時マグネチックスピーカーを専門につくっていた向島の山本金属の山本 由吉さんには、いろいろ教えを乞うなどたいへんお世話になりました。

そのうち、政府はラジオ工業会を通じて企業合同を勧めるようになり、スピーカーメーカーにも相談がありました。

そこで、向島の山本金属の山本さんとか日産電機の山口さん、紺野製作所、ウエストンの牧野商店さんなど7~8名の業者が集まって、何度も会合を開いたのですが、結局、私たちなど中小企業では合同効果もあがらない、ということで話ははまとまりませんでした。

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