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回顧と前進

第7話 燃える独立心-1

『松本望著「回顧と前進」』

ダイナミックスピーカーを自作 ~ 商標も開拓者 “パイオニア” で発売 ~

ワルツもヴィーナスも米国製の模倣でしたが、私は独自の発想でなんとか自分なりの設計をしてみたのです。

出来上がったコーン紙を使って、外形は優雅なデザインに仕上げ、生産の合理化もできるよう、とくに設計に気を遣いました。

ダンパーは、センターでもなく蝶形でもありません。外ダンパーですが、大きく丸くスパイラル(らせん)に抜いた、これも初めての試みのものです。

このように主な部品が全部オリジナルなものですから、設計、試作、型起しなど完成するまでには大変な苦労でした。

しかし、私達の汗みどろな努力が実を結び、約半年ほどのスピードで出来上がったのです。


自作第一号機のダイナミック・スピーカー「A-8」

こんなに早く完成したのも、その陰に下請の皆さんの力強い協力があったからなのです。

大阪には、スピーカーメーカーの部品を下請けする優秀な技術を持った工場がたくさんありました。

永野金属、新谷工業所、高木鉄工所、東コーン紙、板根無線など、これらの部品工場が“スピーカーの大阪”の名を高める陰の主役を果たしていたのです。

私も、これらの方々にはひと方ならぬお世話になりました。

苦労した甲斐があって、自作第一号機のこのダイナミック・スピーカーが奏でる音は、我ながらほんとうに惚れぼれするような出来栄えでした。

後日、東京の松浦 一郎さん(東京音響社長)にお逢いしたら、
「あれは、お世辞抜きに素晴らしい音だったなあ」
と、しみじみ懐かしんでおられました。

当時は音の良し悪しの基準を決める測定器などはなく、すべて耳だけに頼っていた時代なのです。

四六時中、夢に描いていた理想のダイナミック・スピーカーが完成したということで、西村君をはじめ従業員一同と手をとり合って喜んだものでした。

これが現在のハイファイ・スピーカーの嚆矢だと、私は固く信じております。

このダイナミック・スピーカーを「A-8」と命名し、外観は銀色仕上げにしました。別に「C-8」という普及品も作りました。

C-8は外観が黒ラッカー仕上げで、ジュラルミンは使用していませんでしたが、当時としては、新しい継ぎ目なしのコーン紙を用いました。

デザインもA-8と同じで、普及品とはいえその頃の業界の中では高級品で通るスピーカーでした。

値段は代理店渡しで、A-8を10円、C-8は6円と決めました。当時の普及品は4~5円でしたから、決して安いものではありませんでした。

当時の課長級の月給が、70円から100円くらいの時代でしたからね。

よく、みなさんから、
「音もいいが、値もいいや」
と言って、半ばからかわれたものです。

さて、これを商品として売らねばなりません。そして、売るためには商標をつけなければならないわけです。

そこで、みんなして考えたのですが、これといって気のきいた名まえが浮かんでこないのです。

そのうち、私はふと夜学で覚えた英語の“パイオニア”という単語が頭にひらめいたのです。

パイオニア。開拓者。私の精神にぴったりだ、と思いました。

しかし、ほかの人たちはやれ字数が多すぎるとか読みにくいとか、バタ臭いとか言って反対なんですね。

私はこの言葉の持つ、響きと意味が何といっても好きでしたので、とうとうみんなを説きふせて“パイオニア”という商標に決めてしまったのです。

そんなわけで商標はなんとか決まりましたが、こんどはマークをどうしようか、ということで、またまたひと悶着です。

これは、私の素人考えでしたが、音のメーカーをシンボライズさせる意図で、音の基準を表す音叉の形に電気抵抗の略号であるΩを組み合わせてみたのです。

思いのほかいいものができましたので、その下の方に、英語で「パイオニア」と入れて、マークを完成させたわけです。

商標、マークと併行して進めていたカタログ、宣伝ビラ、パッキング用の段ボールなども、追々出来上がってきましたので、さっそく売りにかかることにしました。それも私の仕事なんです。

京阪神をはじめ、東京、名古屋など、私の知っている限りの店には足繁く売り込みに行きました。

今までの私の顔もあり、とにかく、たくさんのお店で扱ってくれることになったのです。

商品の評判も、なかなか良かったようでした。

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