回顧と前進

第7話 燃える独立心-1

『松本望著「回顧と前進」』

心に募る “一国一城の主” への夢

2.26事件の当日、定期的な出張が間近かったこと、生来の野次馬根性から、わざわざ出張を早めて東京に出掛けたのです。

まだ戒厳令下でしたから、横浜で汽車から下ろされました。そこで仕方なく川崎まで京浜電車で行きましたが、六郷から先は検問が厳しくてなかなか通れません。

それをうまくごまかし、歩いて品川の京浜ホテルに入ったことを覚えています。

出張といえば、いつものことですが、私は東京へ出て行きますと、3泊4日くらい滞在します。帰りに名古屋へ立ち寄り、1泊して帰神するのがスケジュールでした。

旅費は実費ですが、日当として10円もらいました。

当時のタクシーは50銭均一、電車は一区間が確か5銭でした。旅館では、素泊りをあまり歓迎してくれません。しかし、夕食付きですと4~5円はかかります。


時代を感じさせない若き日の松本 望
(撮影時期など詳細は不明)

そこで、ちょうどその頃、上野に出来た円宿(1泊1円均一であったことからこの呼称がうまれた)に泊ることにしていました。

私は、当時、酒もたばこもたしなみませんでしたから、夕飯はそこらの食堂で安直にすませ、夜の10時過ぎに円宿に泊るのです。

そんなわけで、4~5日出張しますとだいぶ小遣いがたまります。

今のサラリーマン諸君には「最近の出張は足が出る」といわれそうですが、失業時代の苦しさが、無意識のうちにそうさせたのかもしれません。

2.26事件の余燼もだいぶ治まりかけた昭和11年も夏を過ぎた頃、私は悩みはじめました。

このことは、その時に始まったことではないのです。サワタニ文房具店に勤めていた頃から、絶えず心に思う一つのことがあったのです。

それは“独立”ということです。

自分の意志で学校は中退しましたが、そのことがいつまでも、私の心のどこかにわだかまっている、ふたしかな心理状態でありました。

学校教育を十分受けていない自分が、どんなに頑張っても、しょせん社員止まりにすぎない。頭角を現すためには、どうしても自分で企業を興す以外にないのではないか。そういう考えなんです。

それに、安逸に流れたくないという、心の虫があるのですね。

だから、同じ年配の人たちがたとえ大学を出てもたいしたことはないじゃないか、という傲慢と意地っ張りがあるんです。

現在、私はそういう考え方に対して反省していますが、その頃は正直いってそう思っていたのです。

当時としては破格の待遇を受け、何不自由のない生活を送っていた私に、癖というか、虫というか、あるいは業(ごう)というのか、これがまた頭を持ち上げ出してきたのです。

こうなると、もう駄目なんです。

ほかのことではわりと平静な私ですが、この事に関してだけはどうすることも出来ないのです。

小さくても一国一城の主になることを夢見ていました。

もう30歳にもなったのに、こんな人生を送っていてよいのだろうか。なんとか独立の道を探さないと、とり返しがつかなくなるのではないか、といった焦りがありました。

そうかといって、生活にいく分ゆとりが出てきてから、まだ2年余りしか経っていませんでしたから、独立資金にするほどの貯えもありませんでした。

その頃、私の友人に西村 正夫という人がいました。

聖書館時代、他の教会の人でしたが、心やすくしていたのです。

身体が病がちで養生をしていたのですが、その頃はいくらか元気を取り戻していました。

この人に、私の独立のことを話すことなく話しましたら、
「資金は出してくれるところがある。ぼくが紹介するから、独立してみなさい」
そして「自分にも手伝わしてくれ」というのです。

資金を融通してくれる先というのは、別に何派とも呼ばれていない、ある教会の収益事業団体である福音商会というところでした。

ここでは、米、材木、倉庫業などの事業部が、それぞれ別組織になって運営されていました。

これらの事業収益を元に福音伝道をしているユニークな教会だったわけです。

ここの教会に集まってくる人々は、すごく純情で感激しやすいのか、お祈りをするとき、みんな涙を流して号泣するのです。

私にはとてもついていけそうもありませんでしたが、それはともかくとして、私と西村君の新しい事業のために、応援してくれることになりました。