回顧と前進

第3話 少年期の思い出

『松本望著「回顧と前進」』

持っている能力の発揮 ~ 先生にほめられた創作欲 ~

雲中小学校に転校して、しばらくたった、ある図画の時間のことでした。

その日は、ちょうど粘土細工だったのです。

机の上には、先生が作った犬が座っているお手本が置かれてありました。

みんなは、何とかして、そのお手本通りに作ろうと一生懸命でした。

当時、図画などは、お手本に書かれている絵を、そのまま模写できる人が上手だといわれていたものです。

ところが、私は小さい頃から、時々、突拍子もないことを考えたり、したりすることがあるのです。

「雀百まで踊り忘れず」で、いまもその癖は抜けませんが。

その時も最初は、お手本通りに作っていたのですが、突然、むらむらと例の癖が出て来て、思いついたまま、犬が草履をくわえて、振りまわしているところをこしらえたのです。

先生は私のそばに来て、黙ってそれを取り上げました。

みんなは、どうなるかと心配そうに、先生の顔と、私の顔と見くらべています。

私も一寸、心配になりました。

ところが、受持の稲津先生が、にこにこ笑いながら
「みんな、これ見い。これは手本とはまるで違(ち)ごてるやろ。けど、この作品は松本君が、誰の真似もせんで、自分一人で考えて作りだしたもんや。そこが大事なところなんや。人間には、創意工夫する心が無いとあかんな。松本君のよさは、そこなんや。みんな分かったかア」
といって、えらくほめってもらったのです。

みんなは、分かったような、分からないような顔をして、首をかしげていました。

私は、その時、とてもうれしかったです。

今から考えると、この先生は、ほんとうに偉かったと、つくづく思いますね。

私の創作欲は、それから、ぐんぐん拡がっていったことは申し上げるまでもありません。

そういえば、私は勉強にしてもただ記憶するだけの学科には、あんまり興味が持てませんでした。

それよりも、やはり、いろいろ考えたり、作ったりするほうの学科が好きでした。

たとえば地理とか、歴史とかいう学科よりも、算術や、理科などに興味があり、成績もよかったようです。

いまの学校の成績というのは、ほとんどが記憶中心の学科で、ものごとを考えたり、創ったりする力の結果が測定されないのは、おかしいと思いますね。

むしろ、実社会に出てからは、創造することのほうが中心になってくるんじゃないでしょうか。

それはそうと、私にはもう一つ、自分でもよく分からない能力があるような気がしています。

それに気づいたのは西宮時代でした。

よく町で大売り出しがあって、抽せん券をくれますね。

あの時、福引きを引くのは何時も私だったのです。不思議なことに私が引くと、いつも大ものを当てていたからです。

また、ある時、父が訪問先からお土産に蛸壺を持って帰ってきたことがありました。

父は、家族は勿論、そのころ泊まっていた苦学生達も集めて、中身を当ててみろ、というんです。

みんな、勝手にいろんな物の名まえを言いました。

最後に私が、「牡蠣(かき)」と言ったのです。

父は、とたんに、びっくりしたような顔をして、私をじいっとみつめていたことがあります。

それもそのはずです。当時はまだ牡蠣などは、よっぽど上流の家庭でないと食卓にのぼらない時代で、勿論、私も食べたこともなければ、牡蠣が、どういうものであったかも知りません。

父もびっくりしましたが、母がその時、私に向かって、
「この子は、変な子だよ」
といったのを覚えています。

直観力が人よりもあったのかも知れませんね。

人間には、記憶力や想像力、創造力、また推理力、判断力、実践力、透視力それに今の直観力などという、いろんな能力があると思うのですが、それらのすべてが「能力」であり、私も、そのうちの一つか、二つを自分なりに伸ばしたのだろうと、今では思っております。