回顧と前進

第13話 本社移転のあとさき

『松本望著「回顧と前進」』

株式上場へ“いばら”の道  ~ 株式の分散が裏目となる ~

当社が東京証券取引所から市場第二部銘柄に指定されたのは、昭和36年(1961)9月のことですが、上場に踏み切るについてはそれなりの動機がありました。

誠に恥ずかしい話なのですが、昭和30年(1955)に国税庁の査察にあったのです。

確か9月頃だったと思います。ある日、突然、数名の係官が身分証明書を提示して事務所に現れました。そして、帳簿や伝票類など会社のものはもちろん、私物にいたるまでなにもかも押さえられてしまったのです。

事務所は一時マヒ状態になりました。暫らくは調査の日が続き帳簿との照合がはじまったのですが、中身が合いません。調べられていくうちに、私にも査察を受けた理由がわかってきました。


昭和32年の筆者

3か月ほど前でしたか、大阪のあるお得意さんから、 「100万円ほど預かってほしい」という電話があり、住友銀行大塚支店の私の個人口座にお金が振り込まれてきたのです。

そのお得意さんが査察にあって、そのとばっちりが当方に及んできたというわけでした。

ところが、あちら様より当方の蒙った影響の方がずっと大きかったのです。

会社の取引銀行が4行、私の個人的な取引銀行も3行ほどことごとく調べあげられました。

定期預金など、他人名義のものまでいもづる式に全部明らかにされてしまったのです。

お金を持っていること自体別にどうということはないのですが、どうしてできたのかが問題です。その全部が全部、税金を払った残りではなかったわけです。

結論が出たのは私が米国視察旅行から帰ってからのことでしたから、約10か月ほどというものは、その調査に費やされたのでした。

こんなことはもちろん初めての経験でしたが、スネに傷持つ者の恐さ、本当に嫌なものですね。暫らくは眠れない日が続いたものです。

結局、追徴金を3千万円ほど納めることになったのですが、痛かったですね。

最後に、国税庁の局長さんからお説教をいただきました。
「君、大丈夫だよ。査察を受けたところでつぶれたところはないから。これをキモに銘じて、きっとよくなるよ」というのです。なんとも奇妙な気分でしたが、二度とこんな目には遇いたくないと深く反省させられたものです。

このように、査察は受けたものの会社の業績は順調に伸びていました。しかし、資産はあっても資金が足りないのです。増資をしたいのですが、私の手元には査察を受けた後ですからお金がありません。

仮にあったとしても、会社の将来を考えると個人の資金だけでは限界があると考えたのです。

そこで、これからは株式を公開して資金を集める以外に道はないと判断し、株式上場のための研究を始めました。

この頃、私たち部品業界では愛興電機(アイワ)の池尻さんと帝国通信工業の菊池さんのところがすでに二部に上場していましたから、この方たちからもお知恵を拝借しました。

そんな時、私の従弟にあたる大川 英次君が、野村證券の村田 宗忠専務さんと親しいからということで紹介してくれたのです。

担当は東京本社法人部で、当時の課長は豊田 善一さんでした。豊田さんからは株式の説明を受けたりいろいろとご教示をさずかりました。

ところが、困ったことが一つありました。私の持ち株比率が低いということです。

というのは、税務対策上からも非同族会社の方が有利だからということで、株主を分散するためにお得意さんたちに株を引き受けてもらっていたからなのです。

二部の上場資格を得るためには、資本金を1億円以上にしなくてはなりません。

これから少しずつ増資していくにしても、このままの持ち株比率では私も困ります。

一方、お得意さんにしても取引の“保証金”のつもりで預けておいた株を、増やすということはいやがります。そこで、これを機に、株を回収したり増資権利を放棄してもらうようお願いすることにしました。

このようにして、株式上場の目標を昭和36年(1961)に定めて、それまでの2年余りの間に、資本金を上場基準の1億円以上にもっていくことにしました。

そこで、昭和33年(1958)10月にまず3千5百万円に増資し、次いで35年3月にはさらに7千万円に増資したのです。

そして、翌年4月には半額増資に加えて5百万円の時価発行を行い、資本金を予定の1億1千万円までもっていきました。そしてこの頃には私の持ち株比率も、ほぼ予定通りの線におさまり、また私の家族8人をはじめ親類縁者にも適当に割りふっておきましたので、その後の増資や無償などであまり苦労することがなく、しかもそれぞれが相当の株を持つことができたわけです。

昭和36年(1961)6月、社名を商標と同じ「パイオニア株式会社」に改め、7月に株式を店頭売買に出しましたらだいぶいい値がつきました。

8月には、さらに9千万円増資して、資本金を2億円とし9月に宿願の東京証券市場“第二部銘柄”として上場されたのです。

上場後しばらくしますと、株価は1千円を超え1,200円くらいの値をつけました。

私は、これまで増資に必要な資金はほとんど銀行からの借り入れで賄ってきましたから、これを機に株の一部を売って銀行への借金を清算したのです。

ところで、株式を上場したことにより、私は企業に対する責任の重大さを身をもって痛感するようになりました。他人様の大切なお金を預かっていること、私の経営を大勢の人々が注視しているということは、パイオニアが私一人のものでないということへの自覚となって心をひき締めたのでした。