回顧と前進

第11話 音の入口から出口まで

『松本望著「回顧と前進」』

「テレビ撤退」決断のとき ~ 二兎を追うよりアンプに全力 ~

このテレビは「PVK-14A」と「PVK-14B」の2種類で、14Aは金属キャビネット、14Bは木製のキャビネットでした。

どちらも、いくつかのブロックに分け説明書さえ見れば町のラジオ屋さんでも組み立てられるようにしたキットです。この頃には、もう大メーカーは大量生産体制を整えつつありました。

われわれ中小メーカーが、これら大手メーカーと同じようなものを同じような条件で出していたのではこれは勝負になりません。そこで、物品税を支払わずにすむキットに活路を見出そうとしたわけです。


完成品ではなく組み立てキットで参入したテレビ市場 であったが、3年足らずで撤退した

しかし、各社の製品がひと通り出揃ったところでいろいろ比較してみますと、セットメーカーの商品もまたキットメーカーの商品にしても、技術的にはこれといった特徴が何もないのです。

これはなぜかということになりますが、各社とも映像画ばかりに目を奪われて、音の面を重視していないことに気がつきました。

私は、この点に盲点があると考え“スピーカーのパイオニア”にふさわしい音響面を重視したテレビをつくることにしたのです。形は少し大きめになりましたが、ブラウン管の下のところに低音用と高音用のスピーカー2個をつけてみました。

試作的に何台かつくってみたのですが、なかなか良い音がします。さしずめ「ハイファイテレビ」とでもいったところでしょうか。

さて、これからという時、私の頭の中をテレビ事業の前途に対する迷いが暗い影となって横ぎったのです。

音の専門メーカーを目指す以上、宿題となっているアンプの新製品も急ぎ開発しなければなりません。そのうえ、テレビでも他社に負けないものをということになると「二兎を追うものは一兎をも得ず」という結果を招く危惧すらあります。

テレビの需要は予想通り急速に伸びてはいましたが、この時期私は真剣に悩み続けました。

この事業を軌道に乗せるためには、いままで考えたこともないような莫大な資金が必要です。月産200台や300台ではとてもコストも安くなりません。

なによりも、キットでなければ大手メーカーと太刀打ちできないという点が最大の弱点です。

あれやこれや考え抜いた末、これは到底わが社のような中小企業の取り組む事業じゃないなと判断し、わずか3年足らずではありましたが、いさぎよくテレビ事業から撤退することにしたのです。

テレビ技術開発のために折角入社させたエンジニアの人達は、アンプ事業のほうに投入することにしました。

“災い転じて福にする”というわけではありませんが、高周波技術が手薄な時でしたから、技術部全体が大変強くなる結果になったのです。

もっとも、中にはテレビよりやさしいアンプ技術に取り組むことにはエンジニアとして満足できないといって、よそのテレビメーカーに移っていった人たちも何人かいました。

なにしろ、ここ2年半というもの、テレビ事業のために相当な設備投資や人材の投入を行ってきたわけですから、残務整理は大変だったのです。

最後に残った200台のキットは完成品に組み立てて、その頃広告スポンサーとして取り引きのあった文化放送の社内の人たちに特別割引で買ってもらいました。

代金は当社の放送広告料金と相殺勘定になったのですが、ともかくもこれでさっぱりと片がついたのです。

こんなことなら、初めっからやらなければ良かったのではないかという見方もあるでしょう。

しかし、それは結果論というものです。私としては、再三述べましたようにスピーカーの専門メーカーで終ろうとは思っていなかったのです。テレビ事業への挑戦もその一つの試みでした。

テレビは当時、白黒で1台5万円も6万円もします。それなのに、スピーカーはせいぜい200円から300円止まりのものを1本しか使いません。

これでは役不足というものです。よし、テレビそのものを手がけてやろうというわけだったのです。テレビからの撤退が、結果的に見て良かったなあと思うようになったのは、ずいぶん後になってからのことでした。

当時は、自分の無力が残念に思えてならなかったというのが偽らざる心境です。

しかし、もし本当にそのまま頑張り通していたらどうなっていたことでしょうか。

寡占化時代を迎えた現在のテレビ業界をみるにつけ、まさに慄然たるものがあります。

ところで、テレビからの撤退でアンプ部門に移ってもらった技術者たちは、私の期待にたがわずよく頑張ってくれました。

スピーカーを軸にして、アンプの生産から音響装置までを考えていた私の方針が、実りはじめてきたのです。この当時、今日のステレオ時代を果たしてだれが想像し得たでしょうか。